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第1話 馬籠宿・妻籠宿 [黒い玉手箱 さよなら愛知]


黒い玉手箱愛知県在住時代の思い出話

黒い箱の中のパンフレットや領収書を元に、愛知県在住時代の
若いころの思い出話をだらだらと2年間も記事にしてきましたが
残りの古い資料もいよいよ残りが少なくなって
愛知県から北海道に帰るときのものばかりになりました。

黒い玉手箱
最後の記事になると思いますが
愛知県から故郷北海道に帰る様子を書くことにします。

思い出の未公開資料も少なくなった黒い玉手箱

5.jpg

 

  
(パンフレット、領収書、写真はすべてその当時のものですが
 これらの資料を見ながら、残っているわずかの記憶をつなぎ合わせて
 父との思い出の旅を、出来るだけ再現してみたいと思います)

 

 それでは昔話を始めます。


昭和48年7月トヨタ自動車を退社


5年3カ月(18歳から23歳まで)
青春を過ごした豊田市から北海道に帰ることになりましたが
故郷北海道の北の村から
このクルマの旅を楽しもうと父が豊田市に来ました。

父は国鉄で札幌まで出てきて
それから千歳空港から羽田空港まで飛行機。
東京から国鉄・東海道本線の電車に乗り、愛知県内に入ってから
名鉄の電車に乗って、ようやく私の住む豊田市に到着しました。

今と違ってこれだけでも相当な時間をかけた長旅
しかもこのとき、今の私と同じ64歳になっていた田舎者の父が
あれこれ乗り換えて、よく迷わず豊田市まできたものだと感心します。

 

豊田市を離れる2~3年前(昭和45年頃)の七夕の写真
豊田市の中心地を写した、ただ1枚の貴重な写真です。

img001.jpg

もう北海道に帰れるんだという気持ちのせいかもしれませんが
この年の豊田市は、今までの5年間で一番暑い夏だったように思います。

とにかく早くこの暑い
愛知県から脱出したいという気持ちでいっぱいでした。


アパートの4畳半で豊田市最後の暑い夜を父と過ごし

 

昭和48年7月26

朝早く愛車スプリンターで故郷北海道へ向けて出発。

一度は住んでみたいと思った
あこがれの地、信州をゆっくり見る予定で北上。

今回第1話は、S(豊田市)からG(妻籠)までの
グリーンに表示された約90キロほどの道程の思い出話になります。

001.jpg

松本方面に行くのに何度も通ったセトモノでお馴染みの瀬戸市。
愛知県ともここでお別れですが、もう愛知県なんて来ることが
ないのかもしれないと思うと一抹の寂しさを感じました。

瀬戸市を過ぎると岐阜県多治見市に入ります。
さらに恵那市や中津川市を通って長野県に入るころ
豊田市から約90キロほど走行したところが最初の目的地。

木曽路を代表する観光地、中山道69次

42番目の宿場妻籠宿(つまごじゅく)
43番目の宿場馬籠宿(まごめじゅく)

 
01.jpg

 

どちらも見たのか、そのへんははっきり記憶にないのですが
数枚の写真が残っていて、たぶんこの写真のそば屋さんで

02.jpg

 

昼食の信州そばを食べたと思っているのですが
そばが大好物の父が、そばの本場信州
それも昔の雰囲気そのままの宿場町での昼食ということで
すごく喜んで食べていたのは記憶にあります。

03.jpg

 

なお、中山道長野県側の最南端にあった馬籠宿は
平成の大合併により、現在は岐阜県になっているようです。

 

古い街並みや信州そばに満足した父と、中山道(国道19号線)を
塩尻、松本方面に向かって走り、木曾福島を過ぎてしばらく走ると
野麦峠や上高地、高山方面へ行く道路標識が見えました。

いよいよこの旅の一番大きな楽しみ、上高地へ行く県道に入ります。


第2話に続く

 

 


  

あと書き

愛知県から北海道へ帰る旅は、ところどころ強い思い出が残るものの
記憶から抜け落ちている部分も多いので
多少の推測も入れながら話を進めていますのでご了承ください。

でも、いつも信州にドライブに行くときには瀬戸市を通り
中山道(国道19号線)を走って松本方面に向かっていたので
このルートで馬籠宿・妻籠宿に行ったことは間違いないと思っています。

そして月日ですが
そのあとの旅館の領収書やフェリーの乗車日などの日付け
黒部ダムへ行くときの大町有料道路の通行券の日付けなどから
豊田市を出発した日が、7月26日と間違いないことが分かりました。

第3話までは豊田市から上高地までの一日間の様子です

 


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第2話 奈川度ダム [黒い玉手箱 さよなら愛知]

前回の馬籠宿と妻籠宿の記事を公開した後P5180002.JPG

家にるるぶの雑誌があったことに

気が付いたのでちょっと読んでみました。

馬籠宿は、小説家島崎藤村が幼少時代を

過ごした地と書いてあります。

そう言われてみるとそうだったかと

記憶もあいまいになっています。
 

雑誌の写真を見ると馬籠宿は石畳の坂道があるのですが
自分も
確かに坂道を歩いた覚えがありました。

ですから馬籠宿は立ち寄ってきたと思うのですが
妻籠宿は素通りしてきたのか、それとも両方とも見たのかは
はっきりしません。今思えば写真の裏に撮影場所など
メモ書きでもしておけば良かったと残念に思います。

 

写真はるるぶをコピー
馬籠宿の写真には文学の香り漂う石畳の坂道
と書かれています。

P5180018.JPG

 

それでは前回の続き第2話を始めます

中山道から出て県道に入り、上高地に向かう途中
前方は乗鞍岳や立山連峰、左に木曾の御嶽山
後ろは駒ヶ岳などの木曾山脈、どちらを見ても3,000m級の山景色。

あの頃は登山など興味はなかったのですが
こんな山の風景が大好きで
いつか一度は信州に住んでみたいものだと思ったものです。


写真はるるぶをコピー

img001 (2).jpg

 

中山道(国道19号線)から走ってきた県道が終点になり
信州松本と飛騨高山を結ぶ国道158号線に入るところ
だったと思いますが、大きなダムが見えて駐車場もありました。

きっと景色もいいので、このダムのところで休憩して
ドライブ旅行の記念写真に父を写したのかなと思います。

ネットで調べてみたら
国道がダムの上を走る全国でも珍しい道路のようです。

黒部ダムに続き国内2位の大きな
奈川度(ながわど)ダムと亡き父(平成3年他界)

04.jpg

安曇三ダムと言って、水殿(みどの)ダム
稲核(いねこき)ダム奈川度(ながわど)ダムがあるようですが
私がクルマを停めたところは一番大きな奈川度ダムだったのです。

当時はダムと言えば

映画「黒部の太陽」などで
黒部ダムを知ってる程度でしたが05.jpg
この奈川度ダムは
当時高さ186mの黒部ダムに続く
高さ155mと大きなダムだったようです。
(現在は3番目)

古いパンフレットのダムの写真は

安曇ダムと書いてありますが

たぶん奈川度ダムなのでしょう。

 

そしてこのダムを過ぎるとすぐに
今も忘れられない、珍しい雰囲気のトンネルを通りました。

長いトンネルをしばらく走ると
トンネルの中は三叉路になっていて信号があったのです。
トンネルの中に普通の信号が設置されているなんて初めてのこと
もちろんその後もこんなトンネルを見たことがありません。

上高地方面はそのまま、まっすぐ走ればいいのですが
この信号を左折すると乗鞍岳へ向かうようでした。

さすが、日本一の山岳地帯の雰囲気がいっぱい
ここは信州長野県だと忘れられないトンネルでした。
もしかしたら建設して間もなかったのか
トンネルの中は明るくきれいで広く、都会的な感じだったのです。

あのとき、ずいぶんトンネルが多い所と思っていたのですが
いま地図を見てみると、奈川度ダムあたりから上高地まで
たったの20キロほどで8か所ものトンネルがありました。

 

妻籠宿、馬籠宿を見て奈川度ダム.jpg

この奈川度ダムまでの距離は

私の住んでいた豊田市明和町から

約180キロ

このあたりで一日目は

もう午後の3時か4時頃に

なっていたと思いますが

あと20キロほど走ると

最後のトンネル「釜トンネル」。

釜トンネルを出ると、この旅で一番楽しみにしていた

二度目の上高地です。

 

第3話に続く

 


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第3話 上高地 [黒い玉手箱 さよなら愛知]



白骨温泉への案内看板や、坂巻温泉、中の湯温泉など過ぎると
いよいよ上高地の入口で釜トンネルが待っています。

私はこの2年ほど前
トヨタの寮住まいの頃、同室で仲の良かったT君(札幌在住)が
セリカの新車を買ったときにドライブに連れてきてもらっていて
そのとき上高地に一目惚れしてしまい、これが二度目の上高地です。

T君に連れてきてもらわなければ、素晴らしい景色の上高地を
知らないままで、この旅で立ち寄ることもなかったでしょう。

釜トンネルは、だいぶ前から一般車はimg001 (14) - コピー - コピー.jpg

通行止めになっているようです。

当時は通行出来たのですが

道はところどころ砂利道で埃っぽく

古い釜トンネルは

これから、下界を離れた上高地に

向かうには最高の雰囲気でした。

 

上高地の何に一目惚れをしたのかというと

穂高連峰を背景にして
大正池からヌッと飛び出していた枯れ木です。
T君に連れて行ってもらって初めてこれを見たときには
ただただギョッとしてしまい、強烈な印象が残っていました。


こんな幻想的な風景に一目惚れ(古いパンフレット)

小.jpg

 

そして二回目、父とまたこの風景を見ることが出来ましたが
それ以来テレビで見たり、森村誠一を初めとする山岳小説では
必ずと言っていいほど上高地が舞台になるので、ますます又行きたいと
思う気持ちが強くなって、いつか三回目の上高地の山岳風景や大正池の
枯れ木を「ぜひ見てみたい」という気持ちが続いているのです。

こちら上高地のシンボル河童橋、もちろん渡りました。
(写真はるるぶをコピー)

img002.jpg


父との訪問のときは
曇っていて穂高連峰は見えた記憶もないのですが
この枯れ木の風景を目に焼き付けて上高地を後にします。

 
上高地を出るときにはもう夕方に08.jpg

なっていたので、松本市に行く途中の

この小さな旅館に宿泊したのですが

せっかく写真が残っているのに

旅館の看板が見えなくて・・・

領収書ももらっていないのか

紛失してしまったのか

そのへんは大変悔しい思いがしますが

こうして親子旅の一日目は楽しく終わりました。


 

あと書き

上高地の帰りに宿泊したこの旅館の右側に
私と父が写っていて、バックには信州らしい山景色が映っています。

しかし、ボーっと眠たそうな顔をしていたので
トリミングして削除してしまいました。悪しからず[ふらふら]

この旅館や、上高地の前後に訪れた宿場町や松本城
黒部ダムなどの写真は何枚か撮ってあったのですが
大好きな上高地の写真が1枚もないのです。

不思議に思ったのですが、きっと上高地では曇り空で
おまけに夕方近くで暗いために写真を撮れなかったのかと思います。

豊田市をスタートして故郷に帰るまでの旅の間はどこへ
行っても夏空の晴天続きだったのに、上高地だけ曇っていたのです。
なにしろ標高1500mの高いところなので
仕方ないのでしょうけど、穂高の山を見れないのは残念でした。

釜トンネル
私が通った2年後の1975年から一般車が全面通行禁止になり
バスやタクシーに乗換えないとならないようです。

 
二日目は松本城を見て黒部ダムへ向かうのですが
第4話は、しばらく間を置いてからまた記事にしたいと思います。


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第4話 松本・大町  [黒い玉手箱 さよなら愛知]

 黒い玉手箱
(愛知県在住時代の若いころの思い出話)

2年間に渡って書いてきた思い出話も
るは愛知県から北海道に帰るときの話のみとなりましたが
記事を書いていると、二度旅行をした気分になってしまいます。

それではまた41年前の父との旅を
思い出しながら二度目の旅をブログで楽しみたいと思います。

前回は愛知県を出発しての一日目
上高地までの思い出話をしましたが、その続きになります。

(写真やパンフレットは全部当時の古いものです)

 

昭和48年7月27日(愛知県を出発して二日目)

前の晩08.jpg

上高地と松本の国道の中間にあった

小さな旅館(右の写真)に宿泊して

松本市に向かって出発しました。

もう41年も前のことなので

くわしいことはほとんど

覚えていませんが、この旅館は

民宿のような感じの静かな旅館でした。

 

 

旅館から松本市は近かったのでimg001 (13) - コピー - コピー - コピー.jpg

朝早く松本城に着きましたが

私はたしか二度目の

松本城見物だったと思います。

城を見て歩くのも好きだったので

愛知県在住時代に

地元愛知県の
名古屋城、岡崎城、犬山城、新城市の長篠城跡、それから
滋賀県の彦根城や岐阜県の岐阜城などを見物しましたが
名古屋城や岡崎城と違って、
古いままの状態で保存されている
松本城を父に見せてあげたいと思って
立ち寄ったのです。

北海道にはこんな古い歴史の
建物なんかないので、父は大変喜んでいました。

img001 (2) - コピー.jpg

 

松本城を見てから北上

ちょっとこのへんで
思い出したことがあるので話は横道に入りますが
私がトヨタを退社する前の年か、退社する年かと思います。

高校を出たばかりの若い女の子と会話をすると
よく「そうずら」と言うんです。

恥ずかしがらずに方言を丸出しなんですが
それがまた新卒の初々しい女の子に良く似合っていたし
とても素朴な感じの方言に感じたので
私は
「どこの出身なの?」って聞いたことがあったのです。

その女の子が
長野県の北安曇郡と言ってたのが印象に残っていました。
なにせ私は信州にいっぱい興味があったので
信州は方言までいいなぁ~なんて思ったのでした。

 

話は元に戻りますが
松本市から豊科町(現在はあちこち合併して安曇野市)に入り
豊科町を北に向かうと、この北安曇郡になりますが
間もなく
立山黒部アルペンルートの長野県側玄関口、大町市

この大町市の印象がすごく強く、青空ときれいな山景色
活気が感じられる明るい街の印象が残っています。

img001 (2).jpg

 

いよいよ高校時代に
映画のポスターを見て知った
黒部ダムが近くなってきました。img001 (15).jpg

 

それにしてもこんな駐車場の整理券まで
よく捨てないでとっておいたもんです。

松本市からこの駐車場に着く間に
父に言った言葉を覚えているのですよ。

父さん
 
黒部ダムは高いところにあるんだから
 何かもう1枚着たほうが
いいんでないの

しかし扇沢駐車場も暑かったので、そのまま半そでシャツで
扇沢駅からトロリーバスに乗って黒部ダム駅に行ったのです。

標高1,470mの高いところにある黒部ダムでしたが
大勢の人で賑やかで、下界と変わらぬ暑さでした。


 

第5話に続く


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第5話 黒部ダム [黒い玉手箱 さよなら愛知]

 黒い玉手箱
(愛知県在住時代の若いころの思い出話) 

扇沢駅からトロリーバスに乗って黒部ダム駅に到着。

標高1470mの黒部ダムですが、暑さは下界と
そんなに変わらず大勢の観光客で混雑していました。

今も立山黒部アルペンルートは大人気の観光コースですが
41年前のあの頃も、やはり観光客が殺到していたようです。

周りの山景色がすごい迫力で
7月末なのに雪がたくさん残っていました。
この迫力ある山景色は、もちろん有名な立山連峰なのです。


3,000M級の立山をバックに父と大勢の観光客
(黒部ダムにて・昭和48年7月27日)

 img002 - コピー.jpg

ちょっと話が横道に入って
今から4年か5年ほど前のことになります。

新田次郎原作の映画「劔岳 点の記」を観て感動したのですが
あんなすごい山に自分が登るのは
絶対無理だろうけど
せめて剱岳(つるぎだけ)の
山景色を一度見てみたいものだと思っていたのです。

それがこの写真をよく見ると
私のバックに見える山が、あのとき映画で見た剱岳に
似ている感じなので改めて地図を見てみました。

距離的には、やはり剱岳のような気がするのですが
でも高さが足りないような気もするし・・・

ブログの記事を書いたりしなければ、こんな古い写真など
じっくり見ることもないので気がつかなかったでしょうけど
これが剱岳だったら、私はすぐ近くで見ていたのです。

 

バックの高い山は
一度見てみたいと思っていた剱岳に見えます。
(昭和48年7月27日)

img001.jpg

 黒部ダムから見えるこの山に
心当たりのある方がいましたらぜひコメントください



いろいろ考え始めるとimg001 (6).jpg

ぜひまたこの目で見て

確かめてみたいとも思うのですが

なにせ遠いところですし・・・

 

黒部ダムの見物を終えてから

また大町市に戻って南下、松本方面に戻ります。

北海道に帰るには大町から北上すれば早いのですが
松本方市面から群馬県に入る予定のようでした。

群馬県から栃木県日光が近いので
中禅寺湖華厳の滝を見るのが目的だったのかと思います。

そして松本市の近くから
2泊目の宿を探しながら、山の中の国道を上田市に向かいました。

 

 続きは第6話で

 


追記 

この記事を公開して1週間!
ついに私のバックに写っていた山の名前が分かりました。

この記事を見てnice!してくれたEnriqueさんが調べてくれて
私にコメントをしてくれましたので、さっそく私も教えていただいた
リンクをたどっていろいろ見てみました。

山の名前は「黒部別山(2353m)」でした。

山の名前を知りたくて仕方がなかったのですが
これでスッキリ!いつか改めて黒部ダムへ行けたら
この山姿をもう一度じっくり見てみたいものです。

「剱岳」ではなくて少しは残念ですが、「黒部別山」という
自分には新しい名の山を知ることが出来て嬉しく思います。

Enriqueさんには本当に感謝です。

 

 

 

 

 


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第6話 松茸山荘 [黒い玉手箱 さよなら愛知]

黒い玉手箱
(愛知県在住時代の若いころの思い出話) 

2年間に渡って書いてきた40年ほど前の思い出話ですが
最後は、愛知県から北海道に帰る様子を思い出しています。

すっかり記事更新が遅れてしまいましたが
41年前の私のバックに写っていた「剱岳」だったら・・・と
思っていたこの山の名前が、親切な方からのコメントのおかげで
黒部別山(くろべべっさん)と分かりました。

img001.jpg

さらに今日(日曜日)の夕方、またいろいろ調べてみたら
まったく同じようなところから写した写真が見つかりましたが
有りがたいことに、写真を無断で使用してもいいということでした。
もう疑いの余地のないまったく同じ山です。

この山の正式な名前は黒部別山南峰(標高2300m)
(フリー写真素材集から借用)
sample.jpg


山景色が異常なくらい好きな私にとって、山の名前が分かることは
嬉しいことですが、この山は41年前にたまたま私と一緒に
写っていた
縁のある山だったので余計嬉しいことでした。

見知らぬ方からのコメントで、この「黒部別山」の名前を知り
あらためて、ネットって有りがたいものだな~と思った次第です。

詳しくは前回の黒部ダムの記事の最後やコメント欄をご覧ください)

よく見比べると「剱岳」の方が標高も高く
スケールも大きいのですが、それでも北海道の最高峰
大雪山系の「旭岳」よりも高く険しい立派な山のようです。


それでは疑問も晴れたところで
前回の記事黒部ダムの続き第6話を始めます

 

愛知県を出発して、妻籠、馬籠、上高地、松本城
そして黒部ダムを見た後は、松本市の方まで戻りましたが
松本付近からは夕方になっていたので
2泊目の宿を探しながら山道の国道を上田市に向かいました。

しばらく走ると道路沿いに温泉宿の案内の看板を見ました。

上田市までまだ遠く、山の中なのでこの看板の温泉宿に
泊まろうと思って国道から外れてさらに山道を走ります。

ようやく着いて一安心、この2晩目に宿泊した
温泉宿の名は「松茸山荘」というのですが
周りはなにもない本当に山の中
静かで涼しくて、今も強く印象に残っていました。

その後何十年かして、この宿がテレビの旅番組か何かで
紹介されていたのですが、とても懐かしく見たのです。

 

そして驚くことにP5200004 - コピー.JPGP5180002.JPG

旅の雑誌

るるぶ」にも

載っているんです。


本当に嬉しいやら

懐かしいやらでした。

 


私のことですから、もちろんそのときの
思い出のパンフレットを大事にとってありますよ[わーい(嬉しい顔)]


41年前の古いパンフレット

img007.jpgimg001 (7).jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうですか、古いパンフレットを見ると「本当に静かな山の中」
という私の記憶が、ウソでないことがわかるでしょう。

この松茸山荘のある場所、あの頃は四賀村といってたのですが
これも合併して現在は松本市になっていました。

昔話をするたびに、いろいろ調べてみるのですが
どこもここも合併されているので少し寂しくなります。
あくまでもパンフレットのキャッチフレーズ
心のふるさと四賀村であって欲しかったのですが・・・

img001 (12).jpg
そして

これが思い出の証拠の

穴沢温泉保養センター

松茸山荘」の領収書。

41年経っても

日付も松茸山荘の

スタンプ文字も鮮明でしょう。

これで日付や住所が分かるので

ブログ記事の昔話が

だいぶ正確になるのです。


ただし松茸を食べたかどうかは全然思い出さないのですが
松茸を売りにしている宿だったので、たぶん食べたのでしょう。

とにかく静かで涼しくて
父と二人で気持ちよく泊まった記憶があるのです。

それにしても、温泉宿でビール1本と
宿泊費が二人分で4,000円弱とずいぶん安い時代でした。

そんなこんなで1泊目は上高地の近く
2泊目はこの四賀村(現在は松本市と合併)で宿泊。
翌朝(愛知県を出て3日目)は
信州最後の地、上田市に向かうことになります。

 

第7話に続く

 

 

 

 

 

 


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第7話 碓氷峠 [黒い玉手箱 さよなら愛知]

黒い玉手箱
(愛知県在住時代の若いころの思い出話) 

2年間に渡って書いてきた40年ほど前の思い出話ですが
最後は、愛知県から北海道に帰る様子を思い出しています。

 

昭和48年7月28日(愛知県豊田市を出発して3日目)

長野県四賀村の「松茸山荘」で気持ちのいい朝を迎え
上田市小諸市を通って信州最後の地軽井沢に向かいました。

若かったこのとき、上田市が真田氏発祥の地
という有名な城下町なんて知らなかったので
立ち寄ることもなく素通りしてしまったのです。

いま思うと本当に残念なことでしたが
上田市の名前と夏休みのためか、行きかうクルマで
賑やかな街の様子が薄っすらと記憶に残っていました。

上田市から国道18号線を走り軽井沢を過ぎると
長野県と群馬県の県境にあるのが碓氷峠(うすいとうげ標高960m)
この峠で大好きだった信州ともお別れ、群馬県に入ります。


碓氷峠を下ったあたりのドライブインで昼食。
たまたまこのドライブインのマッチを記念にとっておいたので
このドライブインで昼食したことが分かりました。

img001.jpg

 

(注[exclamation])ちょっとここで3年ほど前の新しい話になります

川口市に住む兄にimg001 (3).jpg

甘楽(かんら)町など

歴史の古い町を見物するために

この碓氷峠の近くまで連れてきて

もらったことがありました。

いま世界遺産の話題でいっぱいの

富岡インターを降りるとすぐに

甘楽町や安中市、それから碓氷峠や

軽井沢も近くにあります。

道路標識を見るたびに、「碓氷軽井沢」
「碓氷峠」「軽井沢」など、懐かしい地名が出てきます。

そして碓氷峠のすぐ近くまで来たときに
ああ、あのとき父と二人でこの近くを走ったんだ
とても懐かったのですが、高速道路が出来て一般道は
空いているせいか、今はとても静かな雰囲気でした。


話は元(41年前)に戻ります

 

碓氷峠を下ると、当時は公害で有名だった街安中市

子供の頃から学生時代にかけてずいぶん聞いた市名でしたが
安中市のカドミウム汚染による公害は1937年からというから
私が生まれるだいぶ前からの話で、訴訟が終わったのが1986年。
ずいぶん長い間、この地域に住んでいる人たちが苦労したようです。

 

これは最近知ったのですが
上田市から日光まで「日本ロマンチック街道」というのです

このとき私は軽井沢から安中市(榛名山側の国道18号線)を通って
沼田市に行ったのですが、地図の赤い国道を走って沼田市へ行けば
この「日本ロマンチック街道」をほとんど前線走っていたのです。
あとで出来た街道の名前なので仕方ないのですが少し残念でした。

上田市から日光まで「日本ロマンチック街道」
(ネットから借用)

008.gif

 

高崎、前橋、渋川を通過すると沼田市ですが
その話は次回にします。

 

第8話終わり

 


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第8話 群馬県沼田市 [黒い玉手箱 さよなら愛知]

黒い玉手箱
(愛知県在住時代の若いころの思い出話) 

2年間に渡って書いてきた40年ほど前の思い出話ですが
最後は、愛知県から北海道に帰る様子を思い出しています。

 

昭和48年7月28日(愛知県豊田市を出発して3日目)

高崎、前橋、渋川を通って沼田市に着きました。

 

この沼田市に着いたとき思い出したんです。

あれはまだ中学生のときでした。
少しの間ですが文通していた相手がこの街にいたのです。

あぁもちろん女の子ですよ[黒ハート]
中学生になって男同士で文通なんて気持ち悪いですからね。
2~3回手紙をやりとりしてから写真を送ってくれたのです。
美人ではなかったけど、丸顔でぽっちゃりして可愛い子でした。

こりゃぁ私も写真を送らなくちゃと張り切って送ることにしたのです。
顔には自信があったのですが??どうせ送るなら
一番良く写ってる写真と思って、1枚選んで自信を持って送ったのです。

し・し・しかし[exclamation×2]

それからぷっつり返事が来なくなりました[もうやだ~(悲しい顔)]

フラれたと思いこんでいましたが、郵便配達員が配達が
面倒くさくなって、どこかにポイと捨ててしまう事件もあったので
もしかしたら私の写真は相手に届かなかったのかもしれませんけどね。

あのまま文通が続いていたらこの街で初対面
そして恋の炎がメラメラと燃え上がって[揺れるハート]
きっと、そのまま沼田市に住みついていたでしょう・・・

 
そんなに世の中うまくいきませんね~[わーい(嬉しい顔)]

その沼田市を後に、片品村を通って日光へ向かいます。


第8話に続く


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第9話 片品村から日光へ [黒い玉手箱 さよなら愛知]

黒い玉手箱
(愛知県在住時代の若いころの思い出話) 

2年間に渡って書いてきた40年ほど前の思い出話ですが
最後は、愛知県から北海道に帰る様子を思い出しています。

 

昭和48年7月28日(愛知県豊田市を出発して3日目)

沼田市を通って日光へ行く途中、いろは坂に行く手前
だったと思いますが、今もはっきり覚えている風景がありました。

車中から見た風景が素晴らしかったのです。
農家の人達が畑仕事をしていましたが
普通の田園風景とは違った高原の雰囲気がいっぱいあって
いつかこの道路をまた走ってみたいと思うほど爽やかな風景でした。

たぶん日本ロマンチック街道の群馬県片品村だったのかと思います。

片品村からいろは坂に行く前に、とても高い峠を走った
覚えがあるのですが、金精道路と書かれた領収書がありました。

img001 (10).jpg

この金精道路は
周りを日本百名山の白根山(2,578m)や男体山(2,486m)の
すぐそばを通るので、2,024mの高いところを走っていたようです。

カンの鋭い人は
男・根・精なんて文字がつく名に気がつくかと思いますが
たぶんみんな関係があるんでないかと思います。
金精峠には男根を御神体として祀られる金精神社があるそうです。

 

そしてヘアピンの連続したimg001 - コピー (2).jpg

いろは坂を走ります。

助手席の父も、カーブの連続に

驚いていた記憶が残っていますが

ネットで調べたら、いろは坂の道路の

正式な名称は日光道路というらしいので

右の領収書はたぶんいろは坂のものと思います。

                            

そして中禅寺湖につきましたがimg001 - コピー - コピー.jpg

父がこの旅で

一番楽しみにしていた日光。

後々、父はこのあたりが一番

思い出に残ったようでした。

 

日光から会津若松に向かうm_2-cf22e[1].jpg

国道121号線を北上したところで

この日も夕方になってしまったので

山の中の民宿に宿泊します。

この民宿は

栃木県の藤原町という町の

小さな民宿だったのですが

山の中だったのでとても静かで家庭的な民宿でした。

img001 (9).jpg
 

 


 第10話に続く

 


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第10話 最終回 [黒い玉手箱 さよなら愛知]


愛知県在住時代の思い出話
最後の記事愛知県から北海道に帰る様子の続きが
遅れてしまいましたが、今日が最後の記事になります。



昭和48年7月29日
(愛知県を出て4日目・23歳のとき)

 

m_m_2-cf22e5B15D[1].jpg

栃木県藤原町の山の中にあった

静かで小さな民宿を出発して

北海道に向かって北上。

 

いよいよ東北福島県

会津若松や猪苗代湖へ向かいましたが
もう早く北海道に帰りたくなってしまって
会津若松も猪苗代湖も
クルマの中からチラッと横目で見ただけ。

(後々、助手席の父に
もっと東北もゆっくり見たかったと愚痴を言われました)

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東北では唯一、会津磐梯山だけゆっくり見てきたようで
有料道路の通行券や古い写真が何枚か残っていました。

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会津磐梯山を見た後は、記憶もほとんど残っていませんが
ただ、山形県天童市内を走っているとき
父が「天童市は将棋の駒の産地」だと言った言葉は覚えています。

この日、7月29日の旅館の領収書だけが紛失してしまったので
どこに泊まったのか、どこを通って青森県に入ったのか
まったく分からなくなったので、天童市から青森県むつ市までの
話は省略しますが、ここだけ記憶から抜けるのが本当に残念です。

 

薄っすらと、田沢湖を見て朝のうち盛岡市を
通ったような記憶もあるのですが
次に思いだすのは、単調な下北半島の田舎道に飽きたころ
予想外なことに突然大きな街に入ったので驚いたのです。


下北半島を走っていると、荒涼としていたので
とても大きな街なんてありそうな雰囲気でなかったのでした。

その街は

本州最北の市

むつ市です。img001 (8).jpg

 

 

そしてこの日は本州最後の宿泊地

北海道を目の前にした

海辺の下風呂温泉に宿泊。

ここまで来て「恐山」を

見なかったことは悔いが残りました。

 

 

昭和48年7月31日

本州最後の宿泊地を後に少し走ると本州最北端の大間町。
ここから函館行きのフェリーに乗りました。

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愛知県からの旅のあいだはずーっと好天が続いていて
この日も天気が良く、父と二人で甲板から青い海と近づく北海道を
眺めていたら、2時間ほどの距離なのであっという間に函館到着です。

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やっと北海道の土を踏みましたが、函館から故郷日本最北の村まで
まだ650キロ以上の長い距離なので、この日は札幌の親せきの家に一泊。

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昭和48年8月1日

函館からはほとんど記憶がないのですが
故郷が近くなったころ、あのときのアイドル歌手麻丘めぐみ
私の彼はひだりきき」がカーラジオから流れてきたのを思い出します。

故郷に着いた日、オホーツク海の冷たい空気が入り込んで
夕方には父がストーブに薪を入れて火を焚いてくれました。

いくら故郷が日本最北の村とはいっても
灼熱の愛知県豊田市から逃げるようにして帰ってみたら
真夏にストーブを焚きながらビールを飲むことになるなんて・・・
 


黒い玉手箱」
(愛知県在住時代の思い出話)


終わり


あとがき

今まで記事に利用した古い領収書やパンフレットなど保管していた
この黒い箱は、いつも昔話に出てくる父にもらったものでした。

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この箱を開けると
当時の思い出がいっぱい入っているのですが、浦島太郎なら蓋を
開けると年を取るのに、私の玉手箱は蓋を開けると逆に若帰るのです。

ですから玉手箱といっていいのかどうかわかりませんが
2年と4カ月の長いあいだダラダラと書いてきた
この箱の中の思い出話「黒い玉手箱」を終わりにしたいと思います

長いあいだの昔話に
お付き合いありがとうございました


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