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黒い玉手箱 帰省 ブログトップ

恐いおじさん [黒い玉手箱 帰省]

黒い玉手箱(愛知県在住時代の思い出話)

愛知県に住んでいた5年と3カ月
故郷の最北の村は遠くて簡単に帰省は出来ませんでしたが
初めての帰省は飛行機で、2度目の帰省はクルマの長旅でした。

今回は愛知県に行った年の暮、飛行機で帰省したときの思い出話です。

飛行機と言っても国鉄の列車で帰省しても
たいした変わらないくらい時間がかかりました。

 

豊田市から名鉄電車に乗り320px-Toyohashi_Station_(2011_07).jpg

岡崎市まで行きます。

岡崎市は国鉄東海道本線が

通っているので国鉄に乗り換え

そして蒲郡市など通って

夜11時頃豊橋市に着きました。

 

豊橋市からは東京行きの急行や特急が走っています。 

豊橋駅の思い出

やれやれ豊橋駅に着いたのですが、夜中の11時も過ぎる頃なのに
駅の中はたくさんの人で込み合っていました。

東京行きの電車が名古屋の方から来るまで1時間以上あります。

どこか座る所がないかと捜したら、座るところがありました。

ベンチに腰掛けようと思ったそのとき

隣に座っていたおじさんの顔を見てびっくり[exclamation×2]

恐い顔をして、どこか普通の人と雰囲気が違うんです。

そしてベンチの横や背後には
恐い顔をしたお兄さんたちが立っていました。

座るのを止めて逃げ出すわけにもいかないので
小さくなってジーッと座っていると
その恐いおじさんが私に話しかけてきたんです。

恐い顔に似合わず話題が豊富で
私の知らない世界の話を面白可笑しく聞かせてくれて
すっかり私はおじさんの話に楽しくなってしまいました。

そして日付も変わる12時頃
そろそろ東京行きの電車の到着時間が近づいてきたので

私は、ところでこんな夜中におじさんはどこまで行くんですか~と聞いたら

恐い顔をしたおじさんは、名古屋から友達が来るので迎えにきたんだ

と言いました。

こんな恐そうなおじさんの友達も
やっぱり恐い顔をしてるんだろうなと思って
友達という人の顔を見てみたかったのですが
その電車に私が乗るので顔を見ることは出来ませんでした。

こうして楽しい1時間ほどを過ごさせてもらって
おじさんにお礼を言って東京行きの電車に乗ったのです。



初めての飛行機

朝、東京に着いて羽田空港に向かいます。

そして生まれて初めて飛行機に乗るのですが、私の隣の席に
座った同年代の男性も、この日が初めて飛行機に乗ると緊張していました。

飛行機が走りだして急加速、私も恐かったのですが隣の男性を見たら
下を向いて目をつぶって、歯をしっかりと食いしばっていました。


千歳空港からバスに乗って札幌駅に着いたのですが

稚内方面行きの便利が悪くてgaiyo_map.gif

また夜行列車に乗ることになります。

こうして飛行機の旅とは言っても

列車の中で2泊もして帰った遠い故郷でした。

 

 

 

 


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故郷へクルマで帰る 第一話 [黒い玉手箱 帰省]

 黒い玉手箱(愛知県在住時代の昔話)

前回は飛行機で帰省した思い出話でしたが
今回はクルマで2度目の帰省をした思い出を書いてみます。

22歳の時、中古のカローラから新車スプリンターに乗り替えました。

当時トヨタのカローラスプリンターは、若者をターゲットにして
日産サニークーペと激しい販売合戦を繰り広げていましたが
そのカローラスプリンターからカローラという名が消えて
スプリンターとして独立しました。

下の写真はそのときの私のスプリンターですが
たしか値段は50万ちょっとだったと思います。

写真をスキャンしたら紺色になってしまいましたが
実物はもう少し薄い色で、紫がかった綺麗なブルーだったのです。

愛車スプリンター1200cc(帰り道岩手県で)


0001.jpg

1972年7月30日

夏休み前最後の仕事が終った日の夜、豊田市を出発。

あのときは早く日本海側に出てしまいたいと思ったのか
長野県を通らないで岐阜県を北上します。

夏休みに入ったとは言っても、真夜中の山の中の国道は
すれ違うクルマも少なく、
気持ち悪いくらい静かで寂しいものでした。

暗闇の中、前方にダムの灯りが見えてホッとしたときに

当時ヒット中の朱里エイコ北国行きでカーラジオから流れてきました。

愛する人に別れも001.jpg

告げずにさよならして

次の北国行きの

電車が来たら乗ってしまうという

疲れた愛に

サヨナラしようとする歌だったのですが

ちょうど真っ暗闇の山の中を北国に向かっていた走っていた私は
気持ちも高ぶっていたせいか、すごく感傷的になってしまった曲でした。

ほとんど休憩も取らないで走り続け、富山県に入ったときには周りも
明るくなり、黒部川と書いてあった大きな橋を渡ってから眠気が襲ってきました。

仮眠のため道路脇にクルマを停めました。

そして山の方を振り返って驚きました[exclamation×2]巨大な山の風景だったのです。

地図で確かめたのですが、たぶん剱(つるぎ)岳など立山連峰かと思いました。

その頃は登山などまったく興味がなかったのですが
山の風景には異常なくらい関心があったので、今もあのときの
巨大な感じの山の風景が忘れられないで脳裏に残っています。

立山連峰(ネットから借用)

2.jpg

余談になりますが2009.jpg

3年ほど前にそのときの迫力ある

立山連峰の景色を期待して

映画、剱岳・点の記を観てきました。

期待した迫力ある山景色は

あまり見れなかったのですがとてもいい映画でした。

7月31日

さて少し仮眠をしようと思ってクルマを停めたのですが全然眠れません。

またすぐに走りだして新潟に向かいますが
途中で長い時間ずーっと私のクルマの後ろについてくるクルマに気が付きます。

信号で離れてもまた次の信号待ちで一緒になったりして
何時間も後ろについてきました。

ルームミラーで相手の顔を見るとやはり私くらいの年齢で一人旅のようです。

何時間も一緒に走ってるともう他人のような気がしません。

そのうち私から離れてしばらく見えなくなったので
もう会えないだろうと思ったら、またまた追いついてきたんです。

私もすっかり嬉しくなって、窓から手を出して後ろのクルマに手を降りました。

後ろのクルマの男性
また追いついたよ~
という感じでニコニコ笑顔で手を振っています。

何時間も一緒に走ってたのですが、いつか本当に
見えなくなったときには寂しくなりましたが、そのうち新潟市に着きます。

田舎の親も心配してると思って郵便局から電報を打ちました。

イマニイガタニツイタ[車(セダン)]

山形県に入った頃、買って間もない愛車が急に調子悪くなって
アクセルを踏んでも全然スピードが出なくなってしまったんです。

仕方がないのでトヨタの販売店を捜しながら
のろのろと走り続けたら山形県酒田市に入りました。

トヨタの販売店で修理をしてもらってまた出発

酒田市を北上して間もなく秋田県が目の前になったころ
鳥海山スカイラインという道路標識が立っていたのが記憶にありました。

変わった名前の山だったので覚えていただけですが
鳥海山が日本百名山のひとつの有名な山だったと分かったのは
登山をするようになった50歳になったころです。

鳥海山(ネットから借用)

 8.jpg

秋田市も近くなったころには
夕方になっていたようですが田沢湖を見るために
日本海と別れて岩手県の盛岡市方面に向かって走ります。

途中で暗くなり、しかもほとんど寝てないのでどこかの山中
クルマの中で2晩目を過ごすことになりました。

第一話おわり

あと書き

記憶を頼りに出来るだけ正確に書こうと思っていますが
41年も前の昔話なので100%とは言えなくて
事実と若干の誤差はあるかもしれません。

でもそのときに感激した風景や出来事は
間違いなく今もはっきり記憶に残っているのです。

 


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故郷へクルマで帰る 第二話 [黒い玉手箱 帰省]

黒い玉手箱(愛知県在住時代の昔話)

(写真はすべてネットから拝借しました)

前日はまったく寝ないで走り続けたので
二晩目はクルマの中でぐっすり眠ることが出来ました。

1972年8月1日

早朝目覚めてすぐに田沢湖に向かって出発。

走り出して間もなく、私の走っている道路の眼下に田沢湖が見えました。

あまり走らないうちに田沢湖が見えたので
二晩目の車中泊は、たぶん田沢湖の近くの山中だったと思います。

朝早いせいか、もやがかかって湖はきれいに見えなかったのですが
念願だった田沢湖を見ることが出来ました。

田沢湖

1.jpg

田沢湖からは盛岡に向かいますが、この間が山の中の何もない道路で
すごく長く感じて、盛岡はまだかまだかと走った記憶がありました。

そして盛岡からは東京と青森を結ぶ国道4号線に入って、夕方前に青森に到着。

無事に青森に着いたと書きたいところですが・・・[ふらふら]

やはり夏休み最中ということで
北海道行きのフェリーは混雑していて夜中の便に乗ることになりました。

それでも青森まで来ると北海道は目の前・・・ということで

安心してしまって気が抜けたのか、北海道を目の前にして
キーを車内に入れたままドアをロックしてしまったのです。

私も一瞬途方にくれてしまったのですが
このとき近くにいた人が、私の困った様子を見ていて
自分のクルマに戻って道具箱を持って来ました。

昔のクルマはドアの前方に三角窓がついていたのですが
その三角窓の隙間から針金をいれて
三角窓のロックに引っ掛けてロックを解除。

そして三角窓に手を入れて腕を伸ばしたらドアのロックに手が届きました。

こうして親切な人のおかげで難をのがれて
夜中11時50分函館行きのフェリーに乗ることが出来たのです。

41年前の乗船券(クルマとドライバーで5,800円でした)

img001 (2).jpg

8月2日

フェリーの中で三泊目、朝早くついに北海道に上陸しました。

津軽海峡を超えるとあとは故郷まで陸続きなので
気持ちも楽になりますが、函館から故郷までまだ630キロもあります。

それでも自分の運転で北海道を走ることが楽しみだったので
函館を走ってるときは
とうとう北海道に帰ってきてしまったなぁと感無量でした。

img001 (3).jpg

函館市を過ぎると見覚えのある素晴らしい山が見えました。

楽しかった高校の修学旅行
同級生とワーワーキャーキャーと騒いでいたときに
列車の窓から今まで見たことがない山景色が見えたのですが

北海道にもこんな綺麗な山があるんだなぁと
列車の窓からしばらく見とれていたことを思い出します。

あのとき夕陽に照らされた山景色は
とても綺麗でなんとも言われませんでした。

標高はそれほど高くもないのですが、厳しいのにどこか優しい山景色。

それは北海道駒ヶ岳なんです。

駒ヶ岳(1131m)

1.jpg

それから八雲町、長万部町など海岸線を走って洞爺湖が見える頃
たまらなく北海道の牛乳が飲みたくなって
どこかのドライブインで牛乳を飲んだのですが
それは美味くて美味くて、牛乳はやっぱり北海道だと思いました。

心に残る景色が山と湖ばかりになりましたが、やがて札幌が近ずいてきました。

故郷では父が首を長くして私の帰りを待っているのですが
このとき私は札幌に住む親せきのところに一泊する約束をしていました。

そして地図を頼りに道に迷うこともなく札幌の親戚の
家に着いたのですが、なんと[exclamation×2]田舎で待っているはずの父がいたんです。

驚きましたが話しを聞くと
ジッと待ってられなくなったのと、札幌からドライブを楽しむつもりで
故郷から出てきて私が札幌に着くのを待っていたのです。

8月3日

予定では親戚の家に一泊してこの日に故郷へ向かうハズだったのですが
父も来たことだし親戚の子供たちも夏休み、もう一泊することになって
父と親戚親子を連れてドライブに出かけました。

来る時に通ってきた洞爺湖まで行って昭和新山や
白老(しらおい)町のアイヌ部落のようなところを見てきたのですが
昭和新山は中学校の修学旅行以来でした。

昭和新山とは私の生まれる6年前の昭和18年から19年にかけて
大爆発を17回も繰り返して出来た標高398mの山です。

昭和新山(398m)

3.jpg

こうして父と札幌の親戚親子と一緒に北海道の風景を楽しんで
この日も親戚の家に宿泊しますが、豊田市を出てから五晩目の夜も過ぎて
いよいよ明日は故郷に向かいます。

第二話おわり

あと書き

この愛知県から北海道へのドライブは
豊田市を7月30日に出発して、豊田市に帰ったのが8月14日の夜でした。

あのころトヨタでは、7月末から1週間ほど夏休み
そして1週間働いて今度はお盆休みが3日か4日あったと記憶しています。

ですから北海道に帰るため
有給休暇を含めてたっぷり長期の夏休みになったと思うのですが
どちらにしても、こんな長旅はこれが最初で最後でした。

それではまた第3話もぜひ読んでくださいね~[わーい(嬉しい顔)]

 


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故郷へクルマで帰る 第三話 [黒い玉手箱 帰省]

クルマで愛知県から北海道に里帰りした昔話

この昔話が最後まで終らないうちに、お盆に墓参りのために故郷に行った
今の話をしてしまったので、少し話がややこしくなってしまいましたが
第二話まで書いた昔話の続きになります。

(画像は全部ネットから借用しました)

1972年・8月4日~8月9日

田舎の実家から札幌の親戚の家に来て
私の札幌到着を待っていた父と二人で故郷へ向かったのが8月4日。

札幌から350キロほど走って実家が近くなってきた頃
対向車線を、私とよく似たクルマが走ってきました。

ブルーのカローラクーペ
よく見ると私と同じ
三河ナンバーと気がついた瞬間
カローラクーペがクラクションを鳴らして同年代の若者が手を振っていました。

愛知県の三河地方に住んでる者同士がこんな日本の最北近くで出合うと
よくここまで走ってきたね~なんて嬉しい気持ちになります。

これだけが田舎のただ一つの記憶。

実家に滞在した4日から9日まで、ほとんど記憶がないのです。

こんなとき何か資料や写真があればいいのですが。

帰省の話なのに実家での思い出がないとは残念ですが
田舎の実家で楽しくすごしたことでしょう。

しかしこの後の日付が入った、阿寒湖のホテルと網走で撮った写真が
ありましたので、帰り道のことはいろいろ思いだしました。

 

 それではここから愛知県に戻る話です

あの頃、職場のトヨタでは日本全国からいろんな人が来ていましたが
北海道の話題になるとすぐに網走が出てくるんです。

全国的には札幌よりも網走の方が
知名度が
高いのかと思うくらいよく話題になりました。

それは映画、高倉健の網走番外地シリーズが大ヒットした影響でした。

私は北海道出身なのに一度も網走を見たことがありませんでした。
網走を知らなければ、北海道の人間として少し恥しいと思っていたほどです。

8月10日

そんなわけで愛知県に帰るのなら
まっすぐ札幌に戻れば早いのに、ぐる~っと200キロ以上も遠回りをして
オホーツク海側を知床に向かって走り、網走に行くことにしました。

実家でいよいよ父と別れて、私一人で網走に向かうつもりでしたが

な~んと[exclamation×2]

田舎から札幌まで私を迎えに来た父が
またまた一緒に網走を見ながら札幌に行くというのです。

大阪万博に行ってからすっかり旅好きになってしまったので
私が網走に行くと言ったら、もうジーッとしてられなかったのでしょう。

こうしてまた父との二人旅になりました。

5.jpg

 

私の故郷は宗谷郡ですが
オホーツク海側を知床方面に向かって南下すると、雄武町から網走郡になり
紋別市を過ぎるとサロマ湖が見える湧別町や佐呂間町を通ります。

一緒に旅をする父も
網走なんか行ったこともないので、初めて見る風景でした。

4.jpg

 

同じオホーツク海側でも北の方は荒涼としていますが
紋別市や湧別町あたりから、背の高い木も増えて緑が濃く感じます。

サロマ湖も過ぎると赤いサンゴ草がきれいな能取湖。

 

初めて見る景色を楽しみながら5.jpg

故郷から

約250キロほど南下して

網走湖が見えると

いよいよ網走市に着きました。

 

初めての網走の印象

同じオホーツク海なのに、故郷に比べたら空や緑の色が濃くて
それにあのころは、まだまだ映画網走番外地の影響ですごい数の観光客です。

あのとき、オホーツク海側にも、こんな明るく活気がある街があるんだなぁ
思ったのが第一印象でした。

網走刑務所などを見ましたが
これで愛知県に戻って北海道の話が出ても

俺は北海道人、網走だって行ってるぞ~と自慢話が出来るのです。

第三話おわり

 

 

 

 

 


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故郷へクルマで帰る 第四話 [黒い玉手箱 帰省]

愛知県から北海道へクルマで帰省した昔話

1972年8月10日(41年前)

念願の網走を見た後は摩周湖に向かいます
私も同乗の父も、網走はもちろん摩周湖も初めて

とにかく広い北海道
交通の便利も道路事情も悪かったあの頃は
道北に住んでいると、旭川や札幌などは行く機会が多いのですが
 
網走、釧路など道東は
道北に住んでいた私にとっては、まるで他県のような感覚でした。

初めて見る摩周湖を楽しみにしていたのですが
摩周湖が近づいてきたらだんだん霧が濃くなってきて、センターラインの
白線もすぐ目の前でないと、見えないくらいになってしまいました。

もう走るのも止まるのも
危険な状態になってしまったのですが、恐る恐るなんとかUターン。

昨年の夏もやはり霧がかかって摩周湖は見れず

8.JPG

4年前の還暦登山のときは9月だったのできれいに晴れました

7.JPG

いくら霧の摩周湖と言っても、あんなひどい霧とは予想外
あと少しのところまで行ったのですが、諦めることになってしまいました。

朝、故郷を出発して走行距離も300キロを超えた頃
日もだいぶ傾いてきたので、そろそろ宿泊するところも決めなくては

そしてこの日の宿泊は阿寒湖の温泉と決めて阿寒湖に向かいました。

しかし夏休み真っ最中
阿寒摩周国立公園の温泉街は部屋が空いてなくて困っていたら

このホテル、布団部屋で良かったら泊まって下さいと言うのです。

7.jpgどこのホテルも満室状態だろうと思うと
贅沢なんか言ってられません。

布団部屋でもなんでも泊まれるのは
有難かったので、喜んで宿泊決定。

記憶では6畳か8畳くらいの
小さな部屋で、普段は布団など
置いて物置代わりの部屋です。

父と二人で4,000円と
だいぶ安くしてくれたのですが
西日がカンカン照りつけて暑い部屋でした。

こんな部屋に泊まれたのも
今になってはいい思い出に
なってしまいましたが。

 

そして次の日、父が
東洋一と自慢の北見花園
フラワーパラダイスが見たいと言います。

こうして私が22歳のときに、今は当たり前のような
顔をして住んでいる北見の街を、初めて訪れることになりました。

このとき、父が花園を見たいと言わなければ
絶対に私も北見に住むことなどはなかったのですから
私にとっては後々、大変意義のある北見訪問になりました。


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故郷へクルマで帰る 第五話 [黒い玉手箱 帰省]

昔話(今から41年前、愛知県から北海道にクルマで帰省した思い出話)

さてこの長いクルマの旅、第四話からだいぶ
間があいてしまったので、簡単にこれまでの道程を説明しておきます。

愛知県から北海道に渡って無事に故郷に到着
そして愛知県に戻る途中、父も一緒に同乗して初めての道東
網走や摩周湖、阿寒湖などを見物して阿寒湖の布団部屋に宿泊。

というところまで書いてから、しばらく中断してしまいました。

 

1972年8月11日

早朝阿寒湖のホテルを出て、父が見たいと言っていた
北見フラワーパラダイスを見るために北見市に向かいました。

網走をはじめ道東は初めてなので、もちろん北見市も初めての訪問となります。

北見市というと小学校の社会の時間に習ったか
地図に載っていたかで覚えていたのですが有名なのはハッカでした。

そして北見市に着いて父が見たいと言っていた
北見フラワーパラダイスに到着しますが、花の記憶はまったくないのです。

いつまでも心に残ったのはこの展望台から見た北見の街並

12.JPG

 

オホ-ツクブルーの青い空
山に囲まれて東西に伸びる白く輝く北見の街並
(カメラと腕が悪くて綺麗に撮れなかったのですが[ふらふら]

P9170039 - コピー.JPG
 
 

この風景がまるで信州の雰囲気に見えたのです。 

あの頃、山景色の大好きな私は北海道に帰らないで
長野県に住みたいという願望もあったのですが、なにしろ父の住んでる
故郷から遠過ぎたので、いつかは北海道に帰ろうと思っていました。

しかしこの展望台から見た北見の街の雰囲気
私の抱いていた信州のイメージとよく似ていたのです。

決めました[exclamation]北海道に帰ったら北見に住むんだ

そしてこの風景を見た1年半後、私は北見市の住人になったのです。

 


 あと書き

この昔話は続きがまだ少し残ってしまいましたが
せっかくだから北見の話をしようと思います。

続きは次回までお待ちください。

明治35年頃から始まったハッカ生産が
昭和14年の最盛期には、実に世界の70%のシェアを占めて
当時の北見は大変な賑わいだったようです。

その後あちこちの国から、安いハッカや合成ハッカが出回って
北見ハッカは衰退してしまったのですが
今も当時の様子を伝えるハッカ記念館などがあります。

1.JPG2.JPG4.JPG

当時の豪邸、薄荷御殿も保存されています

5.JPG

 

衰退してしまったとはいえ
現在もハッカ豆やハッカ飴、ハッカのつまようじや
おしぼりなど、いろんなハッカ製品が製造販売されています。

 

 

 

 


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故郷へクルマで帰る 第六話 [黒い玉手箱 帰省]

昔話・今から41年前

1972年8月11日

初めて訪れた北見
フラワーパラダイスの展望台から眺めた北見の街並がすごくきれいに
見えたことだけが強く印象に残って、あとは何も記憶にないのですが
父もきっとフラワーパラダイスの花を楽しんだことでしょう。

花の最盛期にはこの山のあちこちにいろんな花が咲きます

(7,8年前の写真)

04 5月28日フラワ-パラダイス -.JPG05 - .JPG

こうして故郷から網走、霧の摩周湖、阿寒湖、北見と見てまわり
1泊2日で700キロ程の父とのドライブも終わって札幌の親戚の家に到着。

この親戚、故郷に帰る途中で2泊、そして愛知県に戻るときに
また1泊と、父と二人ですっかりお世話になってしまいましたが

父の弟の娘だったのです。

子供のいなかった父母の幼女として父母、祖父母と暮らしていました。
私が2歳で父母の元にもらわれて行ってからは
私の姉として3年ほど
一緒に暮らしていましたが
私が5歳頃のとき、親(父の弟)のところに
帰って行きます。

そういうわけで血は通ってないのですが
いとこのような姉のような人で、ちょうどつい最近の9月中ごろ
札幌からバスに乗って6年ぶりに北見(我が家)に遊びに来ました。

この昔話の頃は私が22歳、この人は32歳、そして先日
遊びに来た時には74歳になっていて、いろいろ昔話に花が咲きましたが

もう北見に来るのも最後かもしれないなぁ
私が死んでもわざわざ札幌まで葬儀に来なくてもいいからね」

なんて寂しい言葉がでてきました。

話が横道に入ってしまいましたが、この札幌の親戚の家で1泊して
父は北の故郷へ、私は長旅を終えていよいよ愛知県に戻ることになります。

愛知県豊田市を7月30日夜に出発して
ここまで13泊、ずいぶんとゆっくりしたものでした。

8月12日・札幌から豊田市に向かって出発

もう帰り道の記憶もほとんどないのですが
途中の畑作地帯の平野の中に、びっくりするような山が見えました。

まるで富士山のようなきれいな姿、周りは山がなく
畑の中にドーンとそびえる感じのこの山、忘れられない山景色です。

日本百名山のひとつ羊蹄山1,898m(ネットから拝借)

1.jpg

夕方近く函館のフェリー乗り場に到着
あのときは夕焼けがとてもきれいで、もう愛知県に戻るのが嫌になって
このまま北海道に残りたいと思ったのですが
夜の8時30分のフェリー青森県の野辺地行きに乗ります。

2.jpg

夜中の1時か2時ころ、青森県野辺地港に到着して国道4号線を南下した
ところまでは覚えているのですが,その後の記憶がほとんどなくて
最後の記憶は信州の仁科三湖(青木湖・中綱湖・木崎湖)を通過したこと。

私が運転席から見た、たくさんの人達がボート遊びなどしていた湖はたしか
木崎湖だったと思うのですが、これを最後にまったく記憶になくなっています。
たぶん大町市、松本市などを通って豊田市に帰ったと思われますが・・・

 

後立山連峰と仁科三湖(ネットから)

KitaAlpsNishinaSanKo.jpg

 


そんなことなので、豊田市に着いたのが8月13日の夜なのか
14日なのかはっきりしませんが、どちらにしてもたっぷり2週間の夏休み。

長~い長~い
愛知県から北海道へクルマで帰省した22歳のときの思い出話でした。

終わり

 後書き

その後またトヨタで頑張ることになりますが
この1年後の夏、いよいよ暑いのも嫌になってしまって
トヨタを退社して北海道に帰ることになりました。

故郷北海道の最北の村から、旅好きになってしまった父が
豊田市まで出てきて、またまた親子旅が始まります。

そのときの領収書や資料はだいぶ残っているので、今回の話よりもっと
詳しく書けるかと思いますが、またいつかその様子も記事にしたいと思います。

 

 


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