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故郷へクルマで帰る 第六話 [黒い玉手箱 帰省]

昔話・今から41年前

1972年8月11日

初めて訪れた北見
フラワーパラダイスの展望台から眺めた北見の街並がすごくきれいに
見えたことだけが強く印象に残って、あとは何も記憶にないのですが
父もきっとフラワーパラダイスの花を楽しんだことでしょう。

花の最盛期にはこの山のあちこちにいろんな花が咲きます

(7,8年前の写真)

04 5月28日フラワ-パラダイス -.JPG05 - .JPG

こうして故郷から網走、霧の摩周湖、阿寒湖、北見と見てまわり
1泊2日で700キロ程の父とのドライブも終わって札幌の親戚の家に到着。

この親戚、故郷に帰る途中で2泊、そして愛知県に戻るときに
また1泊と、父と二人ですっかりお世話になってしまいましたが

父の弟の娘だったのです。

子供のいなかった父母の幼女として父母、祖父母と暮らしていました。
私が2歳で父母の元にもらわれて行ってからは
私の姉として3年ほど
一緒に暮らしていましたが
私が5歳頃のとき、親(父の弟)のところに
帰って行きます。

そういうわけで血は通ってないのですが
いとこのような姉のような人で、ちょうどつい最近の9月中ごろ
札幌からバスに乗って6年ぶりに北見(我が家)に遊びに来ました。

この昔話の頃は私が22歳、この人は32歳、そして先日
遊びに来た時には74歳になっていて、いろいろ昔話に花が咲きましたが

もう北見に来るのも最後かもしれないなぁ
私が死んでもわざわざ札幌まで葬儀に来なくてもいいからね」

なんて寂しい言葉がでてきました。

話が横道に入ってしまいましたが、この札幌の親戚の家で1泊して
父は北の故郷へ、私は長旅を終えていよいよ愛知県に戻ることになります。

愛知県豊田市を7月30日夜に出発して
ここまで13泊、ずいぶんとゆっくりしたものでした。

8月12日・札幌から豊田市に向かって出発

もう帰り道の記憶もほとんどないのですが
途中の畑作地帯の平野の中に、びっくりするような山が見えました。

まるで富士山のようなきれいな姿、周りは山がなく
畑の中にドーンとそびえる感じのこの山、忘れられない山景色です。

日本百名山のひとつ羊蹄山1,898m(ネットから拝借)

1.jpg

夕方近く函館のフェリー乗り場に到着
あのときは夕焼けがとてもきれいで、もう愛知県に戻るのが嫌になって
このまま北海道に残りたいと思ったのですが
夜の8時30分のフェリー青森県の野辺地行きに乗ります。

2.jpg

夜中の1時か2時ころ、青森県野辺地港に到着して国道4号線を南下した
ところまでは覚えているのですが,その後の記憶がほとんどなくて
最後の記憶は信州の仁科三湖(青木湖・中綱湖・木崎湖)を通過したこと。

私が運転席から見た、たくさんの人達がボート遊びなどしていた湖はたしか
木崎湖だったと思うのですが、これを最後にまったく記憶になくなっています。
たぶん大町市、松本市などを通って豊田市に帰ったと思われますが・・・

 

後立山連峰と仁科三湖(ネットから)

KitaAlpsNishinaSanKo.jpg

 


そんなことなので、豊田市に着いたのが8月13日の夜なのか
14日なのかはっきりしませんが、どちらにしてもたっぷり2週間の夏休み。

長~い長~い
愛知県から北海道へクルマで帰省した22歳のときの思い出話でした。

終わり

 後書き

その後またトヨタで頑張ることになりますが
この1年後の夏、いよいよ暑いのも嫌になってしまって
トヨタを退社して北海道に帰ることになりました。

故郷北海道の最北の村から、旅好きになってしまった父が
豊田市まで出てきて、またまた親子旅が始まります。

そのときの領収書や資料はだいぶ残っているので、今回の話よりもっと
詳しく書けるかと思いますが、またいつかその様子も記事にしたいと思います。

 

 


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紅葉が始まりました [プー太と父の日記 2013年]

プー太2.JPG夏が終わって寒くなってきたこの頃
いつもの散歩道緑のセンターの周りは
木の葉の色も変わって、今日は雪虫が飛んでいました。

早朝は3度とか4度と冷え込む日もあったので
北見はもうすぐ、紅葉のピークを迎える季節になっています。

緑のセンター裏の遊歩道

01.JPG02.JPG


8月にはカスミ草もきれいに咲いていたのに

04.JPG


お父さんは寒くなったら動くのが面倒になるからと
早めに冬の支度を始めたので
整理はほとんど終って庭も寂しくなってしまいました。

05.JPG

それから100円ショップに行って
エアコン室外機のカバーを買ってきました。
 
こんなヨレヨレの安物で大丈夫かな~って
心配しながらカバーをかけました。

06.JPG

そして工作の得意な
お兄ちゃんが作ってくれた木の枠をかぶせて

これで屋根から雪やツララが落ちても大丈夫だろ~
って

お父さんは言ってますけど
いくら雪の少ない北見と言っても屋根の下
室外機の周りの除雪をしないと、木の枠の屋根の
2倍くらい高く雪が積もるので、冬の除雪が大変そうです。

とりあえず今日のお父さんの冬支度は少しだけ終りました[わーい(嬉しい顔)]

07.JPG

5 - コピー.pngやぁやぁみなさんお待たせしました。

私が作業している間にプー太が簡単に説明してしまいましたが
みなさんは気が早いだろうと思うでしょうねぇ
しかしもう10月ですからね。

日中はポカポカ暖かい今は
紅葉だなんて浮かれている季節ですが、来月末には
木枯らしが吹き荒れて、雪も降る冬になってしまうんですよ。

まぁ今年も寒い北海道らしい様子を記事に書いて
みなさんに読んでもらうのも楽しみなんですけどね。

 

 


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バンドデビュー [黒い玉手箱 愛知]

1968年
トヨタに入社して1カ月か2カ月、私がまだ18歳のとき

独身寮の夕食が終る頃
どこからかギターやドラムの音が聞こえてくるようになりました。

私も高校時代に少しやったことがあったので
興味が湧いてきて或る日の夜、音の聞こえる方に行ってみたのですが
音は寮の集会場の中とわかったので、ついでに覗いてみることにしました。


集会場の中に入ると
ちょうどギターが一人足りないので
仲間に入ってくれないかと
誘われてしまいます。

私もサイドギターくらいならいつでもOKということで
即仲間に入れてもらうことになりました。

リーダーでボーカルの先輩が22~23歳くらいで鳥取県出身
あとは私と同じ新入社員だったと思いますが、大阪、熊本、鹿児島
そして私が北海道と、全国から人が集まるトヨタらしいメンバーの顔ぶれです。

ときどきみんな集まって何回か練習したころ
いよいよデビューが決まりました。

[イベント]会場は寮の食堂です。


寮の夕食時間も終わったころライブが始まります。
寮と言っても鉄筋4階建の大きな建物が何棟もある
マンモス団地のような寮なので、大勢の寮生が集まってくれました。

私はサイドギター担当だったのですが、1曲くらい私にも
リードギターをやらせてくださいと事前にお願いしていたのです。

そのとき私の弾いた曲はベンチャーズのクルーエルシー

 

 

演奏後、この日一番の大きな拍手を浴びたのでした。

(ここはちょっと記憶違いかもしれませんね~[わーい(嬉しい顔)]

その後ユニフォームを作ることになりました

上は忘れましたが
下はサイドに黄色のストライプが入ったピンクのズボン。
ちょっと紫がかったようなピンクでしたが、私はこんな派手で
趣味の悪いユニフォームなんか着たくないと思っていました。

そんな派手なピンクは
鳥取出身のリーダーの好みだったのでしょう。

しかしそれからは私を始め、他の新入社員メンバーも
夜勤だ遅番だと、本格的に交代勤務が始まって
練習にもなかなか全員集まることが出来なくなってしまいます。

やがてバンドは一度もユニフォームを
着ることもなく、自然に消滅してしまったのでした。

 



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過去記事を修復作業中 [プー太と父の日記 2013年]

最低気温がマイナスの日もあり
氷が張ったり
雪も降ったり、紅葉もピークを過ぎて
少し高い山は雪化粧、すっかり晩秋の雰囲気になりました。

PA210023.JPG


記事更新が遅れています[exclamation]

最近テンプレートの変更や、記事の字体を変えたりしていたら
過去記事の文章のレイアウト崩れが結構発生してしまいました。

それを記事ごとに直していくつもりだったのですが

どうせ手間をかけるなら・・・

私は子供たちに昔の話などほとんどしたことがないので
私がいつかあの世に行ったら、子供や孫がプー太の父の昔話として
読めるように、このブログを残して行こうと思うようになりました。

9月に他界した女房の父が、中国との戦争に行った手記を残していて
それがとても良かったもので、自分も何かと思ったら
ちょうど私のブログには昔話が多いので、このまま残そうと思ったのです

そんなことで10日程前から暇をみて、レイアウト崩れを直しながら
過去記事の加筆、不要な箇所の削除、部分的な書き直しなどして
もっと読みやすくなるように記事の書き直し作業も進めていました。

まだまだ少ししか進んでないのですが
過去記事のパワーアップのお知らせと記事更新遅れのいいわけでした
[ふらふら]

 

 


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マイク真木のお話 [お父さんの昔話]

                         
前回お知らせしましたが
子供や孫に私の昔話として残しておくつもりで
過去記事をいろいろ書き直したり
残さなくてもいいと思う記事は削除したりしていました。

読み直してみると、誤字や句読点の使い方など
いろいろ書き直すところが見つかるものですが
どの記事もほとんど文章が短くなってスッキリしました。

それだけ記事がダラダラしてるんだろうな~

なんて反省したりしていますが
まだまだ全部終わらせるのは時間がかかるので
少しずつのんびり書き直していくつもりです。

ブログを始めて間もない頃に書いたこの記事は
2回に渡って書いたのですが、半分以下に短縮してスッキリしました。

始めの頃の記事なので、みなさんきっと読んでないでしょうね
同じ記事を2回も読んでもらう方には申し訳ないのですが
せっかく書き直したのでぜひ読んでください。

なお、いま書いているピンクの下線の上の部分はいずれ削除したいと思います
 




マイク真木にお酒をごちそうしてもらった話

1966年
私が高校2年のころ
マイク真木のバラが咲いたが大ヒットしました。

その年にNHKの紅白歌合戦に出場したのですが
他の歌手がみんな正装して出てるのに、マイク真木はセーターに
ジーンズというスタイルで物議をかもし出したそうです
  

 

1971年にはマイク真木作詞作曲、歌も本人で映像だけが
鈴木ヒロミツ、モービル石油のCM「のんびり行こう」が大ヒット
私は「バラが咲いた」よりも記憶に残っています。             

毎日何回もあのコマーシャルが流れていたので
子供から大人まで、知らない人はいなかったでしょう。

 

そのマイク真木さんにお酒を御馳走してもらった出来事は
夢だったのでないかと思うくらい記憶も薄れていますが
あの時いただいたサインを見ると、やっぱり本当のことだったのです。  

02.jpg

 


それではあのときのことを書きます

1975年6月27日                                             

私が26歳のころ、札幌に住んでる同級生と久しぶりに会ったので
2人でススキノの或る小さなスナックに入ろうとしてドアを開けると

それらしい人がいたので友達とビックリして顔を見合わせていたら
その人がおいでおいでと、こちらに手を振っているんです。 
               

ああやっぱり本物のマイク真木だったのです[exclamation×2]                    

マイク真木さんは、付け人みたいな大きな体の若い男性と2人で
こちらも2人、合計4人で1時間くらいだったと思いますが
大いに盛り上がって本当に夢のようなひとときでした。

どんな会話をしたのかまったく覚えてないですが
とにかく明るく
きさくで楽しい方という印象が残っています。                    

その時名刺の裏にサインをしてもらったので
年月日やスナックの
名前まで書いてありました。

本当に気のきく方です。

 

私は新婚ほやほやだったので
サインに女房の名前を入れてもらっていました。

もしもこの記事をマイク真木さんが見てたら

マイクさん、あの時はお酒とサイン
そして素晴らしい思い出をありがとうございました、感謝してま~す。

 

 

 


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